少なくとも私にはアンドリュー・ワイエスの作品に悲愴感は感じられず、展覧会場を進むにつれて力強い印象しか残らなくなっていきました。入口のキャプションにはお父さんの死によって「死生観が変わった」、「思索的な深まりをもたらした」と書かれてありました。死生観が変わる、思索的な深まりをもたらすとはどういうことなのでしょうか。

ワイエスの作品は曇り空が基本です。明るめな色はあまり使われていないので、それで一見寂しい絵にみえているかもしれません。描かれている作品のテーマがまた何というか視点が面白いです。
《鐘つきロープ》は教会の鐘楼への階段と鐘を突くためのロープが描かれている作品です。教会の外観とか、鐘そのものなどがテーマになることが多そうですが、ワイエスが好きだったという鐘つき場の階段、いわば裏方のロープに着目しているわけです。
《ブルーベリーのバケツ》もそうです。左側に大きな窓があり右側には妻ベッツィが摘んだブルーベリーがたっぷり入ったバケツがあります。そこに妻が描かれていなくても、妻が摘んだブルーベリーのバケツを描くことで妻の存在を伝えている。これは妻を描こうと想ってブルーベリーのバケツを描いたのか、ブルーベリーのバケツがあったから妻を思って描いたのか。人物を描くことは、肖像画だけではないのですね。こういう間接的な描き方はかっこいいと思います。
そして、《クリスティーナ・オルソン》。クリスティーナは多くのワイエス作品にモデルとして登場しているワイエスにとって重要な人物です。ワイエスは彼女のことを「傷ついたカモメを思い起こさせた」と述べたそうです。これはどういった意味でしょうか?私が感じたことは、クリスティーナの姿は傷ついているとも取れるしあきらめているとも取れる。かと思えば「私はここで生きていく」という彼女の意志の強さ、凛々しさも感じます。1枚の作品からこんなにいろいろな感情があふれてくるのを読み取っていこうとするのはとても面白いし、ワクワクするし、やめられません。
最後に、《薄氷》を紹介します。今回の展覧会での私の一押し作品です。画面一面に枯葉が描かれています。その中に光が差し込んでいて、それが力強い生命力を感じさせます。この作品を観た時に、父親の死によって死生観が変わったという意味が、解ったというよりも感じられた気がしました。はじめはネガティブな捉え方をしていましたが、そうではなく、死というものを悲しいことという感情だけで終わらせていないのだと思ったのです。

そこに描かれているのは、ただ単に目の前のものを写しているだけではなく、そこに描かれていない「想い」があるのだということを改めて思い出した展覧会でした。
東京都美術館『アンドリュー・ワイエス展』
会期:2026年4月28日(火)~7月5日(日)
巡回展:豊田市美術館、あべのハルカス美術館





































